
「ずぶ濡れのまま今日もきっと誰かを嘲笑う 明日もきっと意地悪だろう」は、最初にこの歌詞が出てきた時と後に出てきたときでは意味が少し変わってくると思いました。どちらも、銀河鉄道の夜の主題と言える「誰かの役に立つことは幸せなことである」ことを知ったうえで誰かを嘲笑うことは同じでも、はじめはじぶんは変わっていないと思わせる嘲笑い、後のはもとの自分に戻り嘲笑っていると思いました。で大きな月の光をいっぱいに浴びているのは、順序的には一番最後にくるシーンだと思います。

からのくだり好き

このさそりとザネリはこの曲の中で重ねられていると考察します。「己の尻尾を飲み込んでる」という表現や、この曲のザネリの髪型もそうなのですが、ザネリはこのさそりのように、ぶどうを月に変え街を照らすことで他者に貢献しようとしたのではないかと思いました。その活動の一部としてジョバンニの活版所の仕事を手伝うことがあり、(今夜代わる代わる星を編むという表現は活字のスタンプを並べ文を作ることを表しているのかもしれません)や

で仕事を頼まれた人の姿があり、決してジョバンニのように輝いては見えなくても確かに真心をこめてその人によって作られた自分への月があり、ザネリは自分の優しさがあることにきがつきます。

女性を思わせる部分がフォーカス

「主人公(ヒロイン)ぶっている」後ろ髪だけ長い髪型。これだけの要素があっても男の子に見えるザネリ。マスカットは「ムスクのようないい香り」という意味があって、ムスクの香水は男女ともに愛されているとても魅惑的な香り。ザネリは銀河鉄道999で「性別不明」

の後のちらっと一瞬だけ見える目が思いの外幼くて好き

ザネリの目可愛い

サビ

ここの「さながら」ってところ、てにをはさんって感じ

で月(?)が目玉みたいになってるのめっちゃ好き…

月が潰れて目が閉じていくの好き

それが、の雨も降っていないのに傘をさしている理由だと思いました。 そして、銀河鉄道の夜の「さそりの火」の内容です。 電車が進むうちに、赤色の火が川の向こうに見えます。その火について、女の子が語ります。 生き物を殺して食べて生きていたさそりが、ある日、いたちに食べられそうになり、逃げているうちに井戸に落ちてしまう。溺れながらサソリは、神さまに祈る。わたしはいくつもの命をとったが、いたちに襲われたときは一生懸命に逃げた。自分のからだをいたちにやっていればいたちも一日生き延びたろうに。どうか神様。わたくしの心をご覧ください。この次にはまことのみんなの幸せのためにわたくしのからだをお使いください。と。そしたらいつかさそりは自分のからだが真っ赤な美しい火になって夜の闇を照らしているのを見た。あの火はそれなんだ。

ドラえもんっぽい顔面ダイブまじ好き

の活版所と思える場所で確かに人の役に立っていました。しかし、ザネリはこれは優しさとは呼べず自分はまだ愛をわかっていないと感じてしまいます。

の短い間奏がなんとも言えない中毒性があってなんとも言えない感情になりなんども繰り返し聞いてしまう

それには確かに理由があって、ザネリは、ジョバンニを見習って自分にとってはぎこちない「親切」を実行していたからでした。そしてでジョバンニの優しさと赤色の自分の優しさを比べ向き合い、自分はどうしてもジョバンニのようになれないことに気が付きます。そして活版所へはしりだします。(なぜここまで必死なのかは考察できませんでした)するとそこには

仲良くしようオッオー好き

星を編むって歌詞が凄い好き

ここの描写、ケンタウルス祭の夜にジョバンニが坂道を降りた先でザネリと鉢合わせる場面かな、とか思ったりニヤッとしながら「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」て言ってそう。
